Duomo e Battistero

ドゥオモ・エ・バッティステーロ

Duomo e Battistero

ドゥオモとフレスコ画に埋め尽くされた礼拝堂

開館時間
ドゥオモ
7:30~12:00 / 15:30~19:30 平日
8:00~13:00 / 15:30~20:45 休日
洗礼堂
10:00~18:00
休館日
12/25, 1/1, パスクア
電話
049.656914
料金
2.8ユーロ / 1.8ユーロ
パドヴァカード
入場無料padovacard_s.jpg(873 byte)
行き方
Palazzo della Ragione、Piazza dei Signoriより徒歩すぐ。
トラム・バスなどの停留所Ponti Romaniより徒歩約10分、またはCorso Milanoの停留所Via Danteより徒歩約10分弱。
駅の1本南の通りVia Tommaseoよりドゥオモ近く(Piazza dei Signori)に停まるミニ・バスDP(Diretto Piazza)あり。
バス
(Ponte Romani)
平日: 3, 11, 12, 13, 16, 18, 22, Tram, ミニ・バスDP
日・祭日: 3, 11, 12, 13, 22, Tram
バス
(Via Dante)
平日: 5, 6, 10
日・祭日: 10, 42

Duomo e Battistero

パドヴァのドゥオーモは(イタリアの他都市でもほぼ同様だろうが)、宗教関連の建造物としては最も古いもので、初期キリスト教時代(紀元1世紀中頃)の司教座大聖堂としての起源をもつ。 1075年に新たに大聖堂として建築されたが、1117年の地震により被害を受けた。現在の建物は、16世紀から18世紀のもの。
建築にはミケランジェロの名による公募により建築家及び設計を募り、イストリア(現在のクロアチア北西部の三角地帯)出身のアンドレア・ダ・ヴァッレAndrea da Valle、アゴスティーノ・リゲッティAgostino Righettiがその任を受け、オリジナルを復元することを目的として再建が開始された。

1754年のファザード(正面)部分の完成でようやく建物全体の完成へ。 ファザードには、3つの門(扉)とステンドグラスに飾られたバラ窓をもつ。
長い建設期間の最後の締めに、ヴェネツィアの建築家であるジローラモ・フリジメーリカGirolamo Frigimelicaが関わるのだが、クーポラも含め実は彼の設計通りの仕事は終わっておらず、しかも第一次大戦中の爆撃も受けているので、未だ未完成のままだ。

平面プランは、ラテン十字型、三身廊の造りとなっている。
入って左面、第一の礼拝堂にはパドヴァの画家ステファーノ・ダッラルゼレStefano dall’Arzereによる『聖母子像』が見られる。第2の祭壇は美しい彫刻が施されている。 これは、パドヴァの司教として就いたグレゴーリオ・バルバリーゴを奉ったもので、ヴェネツィアの建築家ジョルジョ・マッサーリGiorgio Massariによる設計で1762年より手掛けられ、彫刻家のフランチェスコ・アンドローズィFrancesco Androsiが呼ばれ、最上部両脇にて司祭を支えている美しい2体の天使を飾る。
正面に描かれた『キリストの磔刑』はパドヴァで活躍した画家ピエトロ・ダミーニPietro Daminiによるもので、十字架に架けられたキリストを中心に聖マッデラーナと聖カテリーナが描かれている。
手前に並ぶ4体の銅像は、パドヴァの主聖人を模したものといわれ、左からダニエレDaniele、ジュスティーナGiustina、アントーニオAntonio、プロスドーチモProsdocimoとされている。
地階からは、モザイク、テラコッタなど彫り物等されて手をかけられた石材が見つかっており、牛や馬の骨なども残されているが、それらは供犠だったと推測される。 幸福の女神像を模したビザンティン様式の柱頭などは現在エレミターニ市立博物館(ムゼオ・チヴィコ・アリ・エレミターニ)に保存、他いくつかの石材に関しては教会堂脇のディオチェーザノ博物館に保存されている。

ドゥオーモに向かって右脇に隣接するのが洗礼堂だ。
洗礼堂のバッティステーロとは、洗礼者ヨハネの本名サン・ジョヴァンニ・バッティスタにちなむ。
現在のような姿に建築されたのは1260年、献納が1281年とされている。ロマネスク様式の建物自体それほど大きくはないが、堂内床面は真四角に近く、そこから立ち上がる壁面に円筒状の壁が続き、その頂部にクーポラがのる。
この内壁面いっぱいに埋め尽くされたフレスコ画が、洗礼堂の一番の見所である。
1350-1388年のパドヴァ領主フランチェスコ・ダ・カッラーラ、通称イル・ヴェッキオとその妻フィーナ・ブッツァカッリーニの依頼を受け、トスカーナの画家ジュスト・デ・メナブオイにより手がけられたもので、創世記とヨハネ黙示録が約100シーンに渡り描かれている。1375-78年の3年間を費やして描かれたそれらは、現在一部修復されながらもそのまま手をつけずにあり、時の経過により所々はげ落ちている部分もあるが、この時代のフレスコ画としては、保存状態は大変に良好なものだ。

ドゥオーモの裏手に回るとアブシデ(後陣=教会堂祭壇後方に張り出した半円形の空間)やドゥオモの身廊から両脇に伸びる2本の翼廊部分、そして鐘塔、クーポラ(丸屋根)を含む円筒壁などが見える。ディエトロ・ドゥオーモ通りという、まさしく“ドゥオーモの裏”通りには、フィレンツェの有名な詩人で、晩年をパドヴァ郊外で過ごしたとされるフランチェスコ・ペトラルカFrancesco Petrarcaが一時居住していたとされている司教座聖堂付属の家があった場所が残されている。

大聖堂裏側やそこに続く周辺の通りも静かで風情があって美しく、宗教関連用品を売る店も立ち並ぶ。