中世における革命的な構造体を持つ、パドヴァの代表的建造物のひとつ
パラッツォ・デッラ・ラジョーネ(ラジョーネ宮)は、市庁舎兼裁判所として中世以降、パドヴァの人々の生活、政治、経済の中心地となった場所である。
内部が大きな広間(サーラsala)となっていることから、この建物全体は、通称"サローネ Salone"と呼ばれ、地元パドヴァーニにとっては町のシンボルとして古くから親しまれている。
この大きなサローネから東側に、美しい建造物が隣接している。Palazzo degli Anziani(アンツィアーニ宮)、Torre degli Anziani(アンツィアーニ塔)、Palazzo del Consiglio(コンシリオ宮)、そしてPalazzo del Podestà(ポデスタ宮)。 現在でも、それらの建物は市役所として使われている。
このラジョーネ宮の建築に関しては、1218-19年竣工とされているが、1162年着工、1166年に現在の1階部分は完成し、使用されていたとされる。そして1306-1309年、外部のバルコニーを覆う美しいポルティチ(柱廊下)を含む大々的な改装がFra Giovanni degli Eremitaniにより、現存する形が完成。このポルティチは同建物の美しさの象徴でもあり、その価値を高める要因ともなっている。
内部は、アーチ型の天井が2種組み合わされた独特のドーム型。それはまるで"船底をひっくり返した"ような形をしており、カラマツを素材に鉛板で覆われた造りとなっている。広間の大きさは80×27m、屋根の頂点までの高さは40mという巨大無柱空間。ただし、この部屋の正長方形ではなく、いびつな台形のような独特の形をしているのが興味深いところだ。
内部の壁は、フレスコ画に埋め尽くされており、圧巻。上下2つに分割され、上部は約330に分割、占星術をモチーフとしたものが描かれ、下部は72に分割され、政治を主題としている。ここにはジョットが描いたものもあったとされているが、14世紀の火災で現存していない。 さらに18世紀には暴風雨により、屋根がほぼ全壊滅となる被害なども受けている。この際の修復としては、ヴェネツィアのサンマルコ広場の時計塔を設計したBartolomeo Ferracinaがその作業の指揮をとっている。
現在、このラジョーネ宮下は現在食料品店が立ち並び、サローネの下(=sotto)に位置することから、通称「ソット・イル・サローネsotto il Salone」とも呼ばれる商店街となっている。 そこを中心に南北に位置するPiazza delle Erbe及びPiazza della Fruttaは野菜や果物の市場となる広場だが、建設当時にはすでにこの周辺には生鮮物等を売るメルカートが立っていたという。その後、行政の擁護を受けてさらに強化され商店街として確立したことが、今もなお地元民の食生活を支える場として根強く愛される所以であろう。
サローネは現在、様々な展覧会・展示会や美術展などの会場としても使用される。
その大広間を上から物言わずに眺めているのは、大きな大きな木製の馬。ドナテッロ作といわれるこの馬像は、サント広場にある彼の作品ガッタメラータ騎士像の馬に非常によく似ている。