共和国時代の天体観測所
パドヴァに現存する歴史的建造物のなかでも大変に美しい景観を造り出しているのが、このスペーコラ。
パドヴァがヴェネツィア共和国の傘下(1405)になる以前、この地を治めていた領主エッツェリーノ3世・ダ・ロマーノの城として1242年に築かれたのが始まり。現在も残る同建物の中心となる2本の高い塔はこの時代に築かれたもの。建物は、暴君として名を馳せていたこの君主の残忍さの象徴としても知られており、牢獄や拷問部屋などでは、敵人や犯罪人が苦しんだ歴史も持つ。
その後、1374年、パドヴァを統治したカッラーラ家(Francesco da Carrara)により、当時すでにあったこの建物を基にカステッロ(城)として築きあげた。現在のような美しい姿はこの時代に築城されたものである。
時は下り、1761年、特にヴェネツィア貴族の若者の育成に力を入れていたヴェネツィア共和国の多大な支援のもと、この建物を将来の天文学者育成の場になるように、とここにパドヴァ大学の天文学部が設置された。その4年後には、天文学者であり、気象学者・地理学者でもあるGiuseppe Toaldoを教授として招く。彼は、ヴィチェンツァの建築家Domenico Ceratoをはじめ他優秀な建築家とともにここを天体観測のための場として10年の歳月をかけて整備し、1777年に完成。この当時ではイタリア国内屈指の天文台となった。そしてラテン語由来の"Specula Astronimica"と名付けた。 高く堅固な同建物は、南方に向かう子午線上の天体観測をするのに最適な場であった。
内部は2つに分かれており、東側の高さ16mの塔には、"Sala meridiana(子午線観測の部屋)"、高さ35mの窓つきの胸壁のもう一方の塔は、"Sala delle Figure(シンボルの部屋)"として、屈折望遠鏡他、多種の天体望遠鏡を使って、四方の天体が観測されていた。
サーラ・メリディアーナには、気象観測研究の場も作られている。
これらの研究に使われた装置、道具類、資料等は、当時の研究過程を知るうえで、現在も残されている貴重なものである。
1994年以降、ここは博物館として一般公開されている。
チェントロの南西、パドヴァの街を囲む Bacchiglione川の支流河川が二股にわかれ、城として防衛上有利な地点にたたずむスペーコラ周辺は、大変静かで緑も多い美しい場所のひとつだ。