ヴェネツィア-パドヴァ間を流れるブレンタ川(リヴィエラ・デル・ブレンタ)はヴェネツィア共和国の貴族の美しいヴィッラ(邸宅)の建ち並ぶ区域として有名です。
特に、共和国時代に活躍した建築家、アンドレア・パッラーディオが手がけたそれらは非常に価値のあるものとして温存され、その邸宅の造りには当時の時代背景なども感じられるものです。
毎年3-10月の間には、川沿いの主要建築物、及び当時のヴェネツィア人の灌漑技術による主要水門などを訪ねるブルキエッロ社主催のブレンタ川ツアーが催行されており、中型クルーズ船に乗って一日をゆったりと過ごす贅沢なツアーを楽しむことができます。
ブレンタ川沿いは、その景観の美しさが好まれ、15世紀以降、共和国崩壊の18世紀までヴェネツィアの有力貴族の夏場の別荘建築が次々と進められました。特に当時の人気建築家アンドレア・パッラーディオにそれを委ねるのが、一種のステイタスともされ、川側にエントランスを設けデザイン的にも重要性を置いた邸宅の数々が並ぶようになります。いわゆる、ヴィッラ・ヴェネタと現在呼ばれているものですが、これらを訪れるためにヴェネツィアからゆったりと運河を下り別荘へ…というのが当時の貴族たちの流行りスタイルであったとも言えます。
河辺の美しさを保つため、またはそのような優美な景観となった背景には、ヴェネツィアの議会により、一般市民にはブレンタ川沿いの土地の購入を禁じてさえいました。奨励により、建物の用途(農産物の生産を目的とした施設を備えた邸宅か、もしくは住居及び招客を目的とした邸宅か、など)に応じて噴水や神殿などの造形物の指定や、建物の設計には建築家、彫刻家、画家などの芸術家の手を加えた美しい建物とすることなども指示されていたとされています。
そして、この川下りのために使用されたのが、ブルキエッロです。その名の由来は"小さな船(=バルカ)"。当初は船に馬をつなぎ、陸地を走る馬が船をひく、というスタイルをとっており、1700年代以降、櫂を使ったバルカ(船)の形になっています。船は貴族用に華麗に装飾されており、この船に乗ってヴェネツィアのサンマルコを出発、ラグーナを横断し、パドヴァまでを行き来するという、貴族由来のヴェネツィアの伝統的な贅沢な船遊び、ともいえるでしょう。
その後、ヴェネツィア共和国はナポレオンの進撃により崩壊し、その際にブルキエッロも一時は姿を消しましたが、その約150年後、この伝統をもう一度復興すべく、1960年にパドヴァの観光協会のもとにブルキエッロが復活。当初は戦時中に使われていた蒸気船を利用していたようです。 さらに後、90年代に入り法人化し、ヴェネトの美しい邸宅を訪れるミニツアーとなりました。現在に至るまで世界中から多くの観光客からの支持を得ています。
見どころとしては、川沿いの数ある邸宅の景観を、または訪問(終日ツアーの場合には3か所にて降船)することはもちろんですが、水の流れを知りつくしたヴェネツィア人たちの偉業ともいえる、当時から残る水門などの通過点なども非常に興味深いものです。船の往来をスムーズにするためのパドヴァ-ヴェネツィア間の海抜差に対し、また川の流れを変えることによる水路の確保、及び土壌の安全を考えた当時の仕事ぶりを垣間見ることができます。水門では実際の門の開閉、水の流れを間近で見ることができます。
かつてはカサノヴァ、ガリレオが通い、ゲーテやゴルドーニに賛美された、歴史あるブレンタ川クルーズです。